私たちも海外旅行へ行こう!!

最近、ゴールデンウィークや夏休みなどに海外に行かれる方がふえましたよね。「いいなぁ」と思っている私。だから安く行ける方法の情報収集したり、体験談来たりして疑似体験しながらモチベーション上げて、私たちも行きましょう!!きっと。近い未来に。

新元号が公布されましたね。

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 元号「令和」

4月になりました。心機一転、心を新たにしている方も多いのではないでしょうか。そして、本日11:40過ぎに新元号が発表されました。どんな元号になるか、あれこれ予想されていた方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

 

元号は、「令和(れいわ)」に決まりましたね。

【目次】

 

 出典

 

出典は『万葉集』巻第五「梅花の歌三十二首并せて序」にあるということで、簡単に調べてみました。天平二年(730年)正月十三日に、大伴旅人の邸で梅花の宴を行った。その際に集まった歌人達が読んだ和歌三十二首の序文として書かれた文章からです。 

時に、初春の令月、気淑(うるわし)く風和(やわ)らぐ、梅は鏡前の粉に披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かおり)に薫(かお)る。

引用元:『新日本文学大系』万葉集

  調べてみると

三十二首全て「梅」の語が読み込まれている。暗黙の了解があったか、予めの指示であろう。

引用元:『新日本文学大系』万葉集

正月になって、大伴旅人邸で花見が開かれました。平安時代以前当時の「花」=「梅」でした。(ちなみに、平安時代以降は「桜」です。)

大伴旅人は家持の父親です。家持は『万葉集』の編纂に関わったとして学生時代に覚えた方も多いのではないでしょうか。そして、天平二年といえば、旅人は陰謀による左遷(諸説あり)によって、大宰府の長官「大宰帥」として赴任していました。京から離れた遠い九州にいたんですね。

 

ところが天平2年といえばその年の11月、旅人は、大納言(政権のナンバー3)に任じられて帰京するというめでたい年でもあります。更に言うと、翌年亡くなっているので、晩年近くの文章でもあります。

 このように、たまたまこれが書かれた年の前後は、めでたいことが起こり、また、結果的に貴重な文章を残しているということがわかりました。

 

 漢籍か和書か

 

 

 

記者会見で記者から、「これまでは漢籍から云々」という質問もありましたが、この序文、もともと漢文で書かれていますし、以下のことから、慣例の流れからは大きく外れていない気がします。

王義之の『蘭亭集序』のほか、唐詩の詩序(漢詩漢詩集のはしがきにつける文)の文章校正をまねている

引用元:『日本古典文学大系5』萬葉集二 

敢えて漢籍に拠ったのは「平成」くらいで、そもそも、国文学の基礎から漢文は切り離せません。知識人は漢籍を普通に読んでいましたから元号漢籍に依拠する方が当然だと思います。昭和の時代は怪しくなってますが・・・

ただ、国際関係を鑑みてだとか保守派の考えに配慮してとか色々と言っている評論家やコメンテーターもいましたね。

 現代語訳

 

 

前出の『新日本古典文学大系』を参考にして載せておきます。

天平二年正月十三日、帥老の宅に集まって宴会を開く。あたかも初春の良き月、気は麗らかにして風は穏やかだ。梅は鏡台の前の白粉のような色に花開き、蘭草は腰につける匂袋のあとに従う香に薫っている。(『新日本古典文学大系』より)

 

ちなみに、天平二年の正月十三日は太陽暦では二月八日で立春を過ぎているそうです。季節もちょうどいい感じですね。

 

くれぐれも改元の施行は五月一日です。

本日は公布されたまでであることはお間違いなきように!!

明るい年が訪れるように祈りましょう!!

それでは、今日はこの辺で。