世界史のお勉強してみました【Vol.2】
こんばんは。「私たちも海外へ行こう!!」の執筆者、鷹野です。
今日は、前回の世界史の勉強の続きを書いてみたいと思います!!
では、世界史の勉強2回目です!
灌漑農業が発達したメソポタミア南では、紀元前3500年ごろから急激に人口が増えたようです。それに伴って数多くの大村落が成立し、その集落の中心が「神殿」だったそうです。日本の神社も似た感じですね。
それから時代が進んで、神官・戦士・職人・商人などという職業(?)の数が増え、大村落から「都市」へと発展していったみたいです。
その各“都市”はそれぞれが独立してゆき、紀元前2700年ごろまでにはシュメール人の「都市国家」が多数形成されたようです。
これらの「都市国家」では、王を中心に神官・役人・戦士などの人々が各都市の“神”を祭り、政治や軍事・経済などの中心権力を握り、人々を支配する階級社会を形作りました。
その結果、優秀な支配層には莫大な富と権力が集まり、壮大で荘厳な神殿や宮殿、墳墓が造られ、豪勢なシュメール文化が栄えることになりました。
改めて、勉強してみると日本の歴史と道筋があまり変わらない感じがしますね。やっぱり、人間は国や生まれた場所が違っても考えることは類似しているのだなという思いがします。
これって、時代が変わっても同じですよね。世界中でSNSが流行り、世界中で男女の恋愛があり、世界の各地で起こる災害に世界中で同じく心を痛めるという今の世界と変わらない!!
さて、お勉強に戻ります。
前述の豪勢なシュメール文化も紀元前24世紀にはアッカド人に征服され、それらの崩壊後、アムルジン人が“バビロン第1王朝”を起こし、かの有名なハンムラビ王の時にメソポタミア全土を支配しました。
やっと聞き覚えのある単語が出てきましたね!!
ここで、ハンムラビ王の業績を挙げてみましょう!!
- 運河の大工事による治水・灌漑
- ハンムラビ法典発布による法に基づく政治
他にもあると思いますが、(私の独学はここまでしか追いつきません・・・汗)
どちらも日本史と重なる・・・しつこいですが。
ハンムラビ法典の中身とは
「王は神の代理として統治を行う」というもので、その原則は“復讐法”でした。
有名な「目には目を、歯には歯を」です。
これ、子供の時よく父親に言われてました。良く考えるとうちの親父も無茶苦茶だなぁ・・・。
ちなみに、この刑罰は、被害者の身分によって違っていたらしいです。どっかで聞いたことあるような・・・。
今日はここまでと致しましょう。ちょっと長かったですね。高校時代を思い出して頂いたり海外への興味が少しでも喚起されると幸いです。