私たちも海外旅行へ行こう!!

最近、ゴールデンウィークや夏休みなどに海外に行かれる方がふえましたよね。「いいなぁ」と思っている私。だから安く行ける方法の情報収集したり、体験談来たりして疑似体験しながらモチベーション上げて、私たちも行きましょう!!きっと。近い未来に。

今日は何の日?

こんばんは。「私たちも海外へ行こう!!」の執筆者、鷹野です。

 

今日は、海外旅行とは関係ないですが、「今日は何の日?」ということで調べたことを記事にしたいと思います!

 

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米百俵デー

  「米百俵の精神」とか聞いたことあります??

どっかの何代か前の首相が言ってましたよね。

あれです!!

 

では、ちょっとお勉強したことをシェアします!

 

戊辰戦争

幕末から明治にかけて、日本国内では戊辰戦争(1868年 から 1869年)が展開されました。王政復古の大号令を経て明治政府を樹立した薩摩藩長州藩土佐藩らを中心とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦です。

 

これ、始まったのが、慶応4年なんです。つまり、明治元年

 

 

僕、戊辰戦争を終えて明治がスタートしたと思ってました!!お恥ずかしい・・・。

 

で、

 

この戊辰戦争で敗れたな長岡藩の財政は逼迫(ひっぱく)し、元武士である士族でも三度の食事で「かゆ」をすすることも出来ない状態だったそうです。辛いですね・・・。

 

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救世主現る!

 

この状況を知った長岡藩の支藩である三根山藩長岡藩に

百俵の米をプレゼントしたのです!!

 

素晴らしい!! 

美しきかな、助け合い!!

 

しかし!

 

 

 まさかの事態が・・・

当の長岡藩の大参事であった小林虎三郎は士族のために贈られたその米を士族に与えません!

 

「食えないときこそ、教育が大切だ」

「苦しい時こそ、人づくりが必要だ」

 

という教育第一主義の信念から、その百俵の米を払下げ、そのお金を「国漢学校」に注ぎ込みます。

 

その「国漢学校」の新校舎が開校したのが1830年(明治3年)の今日、6月15日だったことから、新潟県長岡市が市制90周年を迎えた1996年に“米百俵デー”をこの日に制定しました。

 

 

「国漢学校」とは

 戊辰戦争の後、小林虎三郎は長岡の文武総督になり、戦火をまぬがれた四郎丸(地名)の昌福寺の本堂を借りて、明治2年5月1日に国漢学校を開校しました。

 

やっぱり、教育の信念はもっと以前から確固としてたんでしょうね <`ヘ´>

 

 

以前の藩校である「崇徳館」が、“漢学”のみを教えたのに対してここでは

国学”も

教授したので、名称も国漢学校と名付けられました。 

 

今日はここまでと致しましょう。それでは、また!!