世界史のお勉強してみました【Vol.3】
こんばんは。「私たちも海外へ行こう!!」の執筆者、鷹野です。
海外に目を向けるべく世界史の勉強を始めて3回目。続きを書いてみたいと思います!!
では、前回の補足から。
前回は、ハンムラビ法典で終わっていたと思いますが、ハンムラビ王の時代に栄えた文明は、周辺諸民族にも影響を及ぼし、富を求めて移住と侵入を繰り返しました。
今も変わらない気がしますね・・・。
で、
その中でも早くから鉄製の武器を使用したのがインド=ヨーロッパ語系のヒッタイト人です。
彼らは紀元前17世紀半ば頃にアナトリア高原に強力な国家を建設して、メソポタミアへ遠征し、バビロン第1王朝を滅ぼしました。さらにシリアにも進出して、エジプトと戦いました。
この歴史が、今も尾を引いている気がしますね・・・。
アナトリア高原
トルコの小アジア半島内陸部を占める盆地状の高原。アナトリアとはトルコ領アジアの名称であり、トルコ語ではアナドルAnadoluという。標高800~1200メートル。東に向かうほど高度を増し、アルメニア高原へとつながる。北はポントゥス山脈によって黒海と、南はトロス山脈によって地中海と、それぞれ隔てられているため海洋の影響が及ばず、年降水量は200~400ミリメートルにとどまり、中央部にはトゥズ湖のような塩湖やステップもみられる。農業の困難な地域では、モヘア糸のとれるアンゴラヤギやヒツジの牧畜が盛んであるが、灌漑(かんがい)用ダムの建設や地下水利用が進み、小麦、ヒマワリ、ブドウ、テンサイ、タバコなどが栽培される。首都アンカラのほかコンヤ、カイセリ、シバスなどの都市が存在する。
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について
コトバンクより【https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E9%AB%98%E5%8E%9F-1500388】
他にも
カッシート人が滅亡後のバビロン第1王朝を支配し、
北メソポタミアにおこったミタンニ王国がシリアへ領土を広げるなど、紀元前15~14世紀以降、様々な王国が並立し複雑な政治状況を生みました。
このあたり、興味ある方は勉強してみると旅行に行きたくなってしまうかもしれませんね。
また、
文化面でもメソポタミアは多神教世界ではありましたが、支配する民族が入れ替わるたびに信仰の最高神も変わりました。
日本の多神教の方がしっかりしてない??と思っちゃいますけど・・・。私は。
さらに、
シュメール人が始めた楔形文字(くさびがたもじ)(←懐かしいですねぇ~~~)は多くの民族間で使用されたそうで、言語が違っても皆が粘土板に刻まれた楔形文字を使用するようになったそうです。
最初の国際語ですかね(^^ゞ
その他に発達した文化
やっぱり、実学が多いですね!!
今日はここまでと致しましょう。高校時代を思い出して頂いたり海外への興味が少しでも喚起されると幸いです。