今日は何の日?@9/20
こんばんは。「私たちも海外へ行こう!!」の執筆者、鷹野です。
「今日は何の日?」ということで調べたところ、海外旅行とも関係することがありましたので、少し記事にしたいと思います!それでは、始めましょう!!
今日は何の日?
1519年の今日、マゼランが265人を乗せて、5隻の軍艦でスペインを出航し、世界一周航海に出発しました!!
マゼランについて
1505年、ポルトガルがインド洋の覇権を握るべく、フランシスコ・デ・アルメイダを艦長とするの20隻の艦隊がポルトガルを出発しました。当時25歳のマゼランは、このアルメイダの艦隊に希望して加わり、これが、マゼランの初の航海となりました。
順調に出世!
マゼランの最初の地位は代理士官から始まりました。貴族出身とはいっても、下級貴族出身の彼は、船室は一般船員と同じ待遇でした。アルメイダの艦隊は最初に東アフリカのイスラム勢力の排除にかかり、マゼランは2年3ヶ月ほど東アフリカのポルトガル拠点構築に尽力しました。
その働きで、指揮官の1人ペレイラに認められ副舵手に抜擢され、戦士としてまた船乗りとして経験を積みました。
凄いですね!!!
そして、
1509年の9月、マゼランはペレイラ率いるマラッカ遠征に加わりました。この時点でポルトガルは胡椒を除く多くの香料の産地がインドではなく香料諸島であること、ライバルであるスペインが西回りルートでの東洋航路を模索していることなどを把握しており、早期の香料諸島の覇権を急いで、まずは香料諸島への重要な中継拠点であるマラッカの確保に乗り出していたのです。
この遠征中の業績によってマゼランは船長の位を授かります!!
家柄で地位が決まることの多い中世で、下級貴族出身ながら見習い士官から船長の地位にまで上ったマゼランの船乗りあるいは戦士としての能力は相当に高かったものと想像されています。
なんか、豊臣秀吉に似てる気がするのは、私だけでしょうか・・・?
マゼラン、スペインへ
1515年、マゼランは東洋へ派遣される船の指揮を任せてくれることを求めました。しかし、ポルトガルはこれを拒絶しました。
通説では、ポルトガル王マヌエルとマゼランはマゼランが小姓時代から馬が合わなかったとも、謁見の際のマゼランの態度が当時の宮廷世界での慣わしに沿っていなかったからだとも言われているそうです。(他にも説はあるみたいですが省きます)
その当時、
スペインには、外洋航海を仕切っていたスペイン宮廷の実力者にロドリゲス・デ・フォンセカという貴族がいました。その彼が、マゼランの存在を知り、マゼランを新たな探検隊の指揮官に推すことに決めると、マゼランはスペイン王・カルロス1世の謁見を得て、その航海の計画を説明することになります。
そして、
マゼランの自信を持った説明にスペイン王は納得し、
マゼランに艦隊を預ける決断をしたのでした!!
ついに、出向!!
マゼランの艦隊は王の命令に従って、1519年8月10日にセビリアを出発します。
しかし、
準備が整っていない艦隊は120キロメートル先のサンルーカル・デ・バラメーダ港に留まって準備を終え、
1519年9月20日、いよいよ航海に旅立ったのです!!
その後、
1521年4月7日、マゼランたちはフィリピン諸島に到達しました。
が、
そこで現地の抗争に首を突っ込み、マクタン島の首長、ラプラプに殺されてしまいました。
マゼランの死後
マゼラン自身は航海半ばに亡くなりましたが、部下のスペイン人フアン・セバスティアン・エルカーノが艦隊の指揮を引き継ぎ、1522年、史上初となる世界周航を達成しました。ちなみに、スペイン帰国時の乗組員は21名、そのうち、3名は途中で乗せたマレー人なので、出発時約265名の乗組員のうち世界周航を無事達成できた彼の部下は18名だったそうです。
ほぼ3年にわたる航海だったそうですよ。
それでは、今日は、ここまでに致しましょう。
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